2011年3月11日あの時刻 原発作業員は4号機タービン建屋と共に大きく揺れた

転載開始


震災当時の恐怖伝える 福島第1元作業員の大竹さん、27日徳島市でシンポ 2014/9/26 14:02

 東日本大震災の発生時、東京電力福島第1原発の4号機で定期検査の作業をしていた男性が、徳島で暮らしている。元東電協力企業社員の大竹善人さん(40)=徳島市応神町古川。市民団体「脱原発市民ネットワーク徳島」が27日に徳島市のとくぎんトモニプラザで開くシンポジウムにパネリストとして参加し、震災当時の生々しい様子などを伝える。
 
 「初めは何が起きたか分からなかった」

 巨大地震が発生した2011年3月11日、4号機のタービン建屋2階にいた大竹さんは、当時をそう振り返る。強烈な揺れで照明が切れ、激しい金属音が周囲に響いた。身動きできないまま1階を見ると、高さ10メートルの鋼鉄製の扉が目を疑うほど大きく波打っていた

 揺れが収まると同時に、数百人の作業員が出口に殺到。外に出るには放射線被ばくの測定検査を受けなければならず、パニック状態に陥った。何とか外に出て辺りを見渡すと、地面は50センチから1メートルほど地盤沈下し、燃料タンクの基礎部分がむき出しになっていた。

 すぐに高台に上がって津波の難は逃れたが、11日夜に車の中のテレビで1号機の原子炉内の水位が下がっているとのニュースを知り、福島から出ることを決めた。「長年、原発の仕事に携わってきたので、ここにいてはまずいとすぐに分かった」と話す。

 翌12日からひたすら西に向かい、原発事故の避難者を受け入れていた島根県出雲市へ。会社の上司には電話で「もう原発の仕事はできません」と退社の意思を告げた。同市で2年8カ月滞在した後、インターネットで知り合った徳島に住む車好き仲間の勧めで13年秋に徳島市に移住。現在は運送会社に勤め、徳島に骨を埋める覚悟という。

 原発事故から3年半。今も、汚染水処理の問題など事態は収束していない。「原発の恩恵を受けてきた私たちが『原発がなかった方がよかった』とは言い切れない」と複雑な胸の内を明かしながら、「これからはなくてもいいんじゃないかという考えに変わってきた」と語る。 27日のシンポジウムは伊方原発(愛媛県伊方町)の再稼働をテーマに意見を交わす。反原発を訴える山本太郎参院議員もパネリストを務め、講演する。

 午後1時半から。資料代として600円が必要。

    徳島新聞

       以上転載おわり




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